コロナ禍で旅が出来なくなり、もう1年半近くなります。
先週6都道府県に緊急事態宣言が拡大され知事会が県をまたぐ移動は避けるようにと注意を喚起しています。
子供、若者たちにとって夏休みは大きな成長を促す体験が出来ますが、今は行動が制限されているので冒険の機会が極端に少なくなる事が残念でなりません。
世界各地のコロナの状況を見ても、気軽に海外に再び旅が出来るのはまだ少し時間がかかると感じます。

旅はその人に大きな影響を与え自分自身を成長させてくれます。
時には人生を変える旅をする人もいます。
会社スタッフがコロナ前に色々な場所へ旅をすると、その旅の話を聞くのが楽しみでした。

夏休みに入っても自由に旅が出来ない状況が続きますが、是非コロナが収束したら色々な場所へ旅をして大いなる刺激を受けてほしいと思います。
今日は私の初めての海外旅行について書かせて頂きます。
何故か?
通常の旅であれば予定通り決められたツアー日程で帰国するのですが、私は初めての海外旅行にも関わらず日程通り帰国せず、他の参加者よりも一か月も遅れて帰国しました。
そのツアーを企画した旅行会社の社長はじめ家族、他の参加者の皆さんにも大変ご心配をおかけしました。
帰国してから謝罪に旅行会社の社長に挨拶に行きましたら「私は何百人も海外への旅を手配しているけれど、初めての旅で帰国が一か月も遅れ、おまけにお金を稼いで帰国した人は金子君が初めてだよ!」と言われました。すみません。

しかしその旅から学んだ事、出会った人達との思い出を書きながら、コロナが終息した後の旅について考えたいと思います。
そして読んで頂いている方達にも是非次の旅の計画を考えて頂きたいと思い書かせて頂きます。

以前のブログにスウェーデンの事を書きました。
中学生の頃に見たスウェーデン映画に映る風景の美しさに感動し高校生の時スウェーデン独自の外交政策や福祉政策に興味を持ち、最初に海外に行くならスウェーデンと決めていました。
当時は北欧スウェーデンを企画する旅行社が殆どなく、夏休みにスウェーデン語の研修旅行を扱う小さな旅行会社の企画を見つけ参加しました。
旅の期間は1カ月。2週間はストックホルムでのスウェーデン語研修、その後フリーになり2週間後デンマークの首都コペンハーゲンのカストラップ空港に参加者は集合し帰国という自由なプランでしたので、それも魅力でした。
参加者は全員で5名。大学生は私だけで他の4名は建築、法律、織物関係と社会人の方達でした。

無事に語学研修も終え、その後他の方達も別々にストックホルムを離れ色々な場所へと旅をされていました。私はストックホルムから北へ日本で言うと軽井沢みたいな避暑地ダーラナ地方へ旅しました。森と湖の国と言われるスウェーデンですが、象徴的な場所でもあります。
2日間滞在して、一度ストックホルムに戻りその日の夜行列車でデンマークのコペンハーゲンへ
確か夜11時位の夜行列車でストックホルムを出発するとコペンハーゲンには朝の6時前後に到着した記憶があります。

スウェーデンのダーラナ地方の人の少ないのんびりとした街から入ってきたので、北欧の窓口と言われるコペンハーゲンの人の多さに驚き(東京と比較するとコペンハーゲンでもずっと人は少ないですが)少しでも人が少ない場所に行きたいと思い中央駅に貼られていたデンマークの地図を見て、へルシンオア(Helsingør)という地名が目に飛び込んできたので本能的に向かいました。電車で北へ1時間弱の場所でガイドブックの情報も事前の知識も何もありませんでした。
到着して駅のすぐ横にあるホテル紹介所が目についたので2・3日宿泊するホテルを探す為立ち寄りました。
ずっとユースホステルを利用して安く宿泊していたのですが、風邪を引いてしまい咳が出ると他の人に迷惑がかかるので、リーズナブルでお勧めのホテルを紹介してほしいと伝え紹介されたのがデンマーク語で「ソウルバッケン」と言うホテルペンションでした。

日本語に訳すと「太陽の丘」という意味で直ぐに気に入り予約を取ってもらいました。
ヘルシンノア駅からローカルな電車で森を抜け15分位の場所でまさに高台の丘に建っていて歴史を感じる小さく素敵なホテルペンションでした。ご夫婦二人が中心で運営していて忙しい時期はお手伝いの人が2・3名来られます。ホテルの眼下には2車線の道路その向こうには直ぐにバルト海。2階の食事の場所テラスでは海を見ながら夜はスウェーデン大陸の明かりがちらちら見える本当に素敵な所でした。
ヘルシンオアはデンマークでも一番スウェーデンに近い場所なのです。

ここでのご夫婦たちとの出会いが、その後の私の人生に影響を与えました。

奥様の名前はリリーさん、ご主人はニルスさんです。

次回は何故そうなったかの経緯を書かせて頂きます。

金子 孝一