先日コンゴ共和国の噴火がニュースで伝えられました。
噴火の溶岩が住宅まで押し寄せ、燃えている家屋等悲惨な映像が世界を巡りました。
そして2021年6月3日は雲仙・普賢岳大火砕流から30年です。
ニュースで30年が過ぎた事を伝える映像は、当時の大火砕流が住民、地元消防団、警察官、取材中の報道関係者や同行していたタクシー運転手が犠牲になった恐ろしい自然の驚異を今一度思い起こさせます。

この教訓から火山防災や報道の在り方が見直されました。
しかし30年が過ぎると地元の方達以外は遠い過去の事と忘れがちです。

先週のブログで作家高嶋哲夫さんの本を紹介しましたが、その中で「富士山噴火」も私の記憶に残る本の一冊です。

日本の美しさを象徴する富士山。
葛飾北斎の「富嶽三十六景」は世界へ誇れる日本の象徴的風景ではないでしょうか。

私の小学校の頃には火山は活火山・休火山・死火山と分けられると教えられた記憶がありますが、今は違って気象庁は死火山とされていた木曾御岳山が1979年に噴火(直近では2014年噴火)したのを機に、火山区分を過去2000年に噴火した事がある「活火山」と「活火山ではない火山」と2つにしたようです。私の情報もアップデートしていませんでした。
となると富士山は1707年以来大きな活動を休止していますが、マグネチュード1~2程度の小地震を毎月数十個観測しているので、マグマ溜まりは健在で活火山です。

その富士山について私は、どんな歴史があり今の姿になっていったのか、実は良く知りませんでした。高嶋哲夫さんの作品「富士山噴火」を読んで再認識しました。
コンゴ共和国の噴火と雲仙・普賢岳大火砕流のニュースから思い出し、今回は富士山の歴史を振り返ってみます。

調べると約1万年前に古富士火山の周辺で噴火が始まり溶岩が埋め尽くしながら高く大きくなり新富士火山が誕生。現在の富士山は先小御岳火山、小御岳火山、古富士火山、そして新富士火山の四つが重なり今から約2900年前に形成されたと言われています。

富士山の山梨県側には東から山中湖、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖と五つありますが、山中湖を除く四湖は古代には「せのうみ」と呼ばれる大きな湖でした。

しかし富士山の度重なる火山活動により溶岩が流れ込み、まず河口湖と本栖湖がせのうみから別れ三つになり864年の貞観大噴火によって噴出した溶岩がさらに分断して西湖、精進湖を作り上げました。
その時溶岩流に埋め尽くされ生まれたのが富士の青木ヶ原樹海です。
その後937年の噴火によって川がせき止められて生まれたのが山中湖と考えられています。

1707年の宝永大噴火では噴煙が20キロメートル上空あたりまで上がり、成層圏まで達し火山灰は偏西風にのり、九十九里浜まで降ったとされています。
黒煙・噴石・降灰砂・雷。江戸にも多量の降灰があり2週間に渡って断続的に噴火し、江戸にも10日間以上降り続き、昼間も薄暗くなり、その灰は5センチの厚さまで達したと書かれていました。1707年の噴火49日前に宝永地震(マグニチュード8.6)が発生しています。

次回に続く

金子 孝一