コロナ禍で本の需要が増加したそうです。
2020年は前年度比4.8%増の1兆6168億円になりました。
本にも多種多様なジャンルがあります。
このブログでも多くの本を紹介させて頂いています。
私にとって本は自分の無知を自覚し知らない世界へ導いてくれると言う位置付けです。
時には主人公と一緒に旅をしたり問題解決に立ち向かう姿を自分と重ね妄想を膨らませます。

今まで一週間に1冊ペースでしたが、昨年はコロナ禍で一週間に2・3冊程度まで増えました。アマゾンで簡単に購入出来るのが拍車をかけました。
時に随分前に読んだ本を忘れ購入してしまう事もあります。

最初に読書に夢中になったのは小学生の頃、怪人二十面相シリーズです。
途中で読むのを止められず本をビニール袋に入れてお風呂で読みふけり、のぼせ母に叱られた記憶があります。

その後高校生の時に父から勧められた松本清張氏の推理小説「点と線」です。
推理を描く着眼点に読んで衝撃を受けました。
多くの事を読書から学びます。
今ではあの厚い時刻表等を使う事は無くなりましたが、わずかな時間の隙間で描く時刻表のトリックから犯罪の様を描いています。
書かれたのは私が幼少の頃ですが、読んだのが高校生。
しかし長い時間が過ぎても全く色褪せずストーリー展開・トリックの緻密さ、人間の描写等素晴らしく当時夢中になりました。
その後「砂の器」「ゼロの焦点」等続けざまに読みふけり、授業中も教科書の間に本を挟み読みふけった事を思い出します。
どの作品のタイトルを見ても現代でも新しい印象があります。
それが1950年60年代に書かれた作品とは思えません。

「砂の器」は長編推理小説ですが、この本からハンセン病の事を知りました。
本が映画化になった中で「砂の器」は邦画の中では最高の作品だと私は思っています。
本を読み、それが映画化になるとの話から楽しみに映画を見に行くこともありますが多くは本以上の凄さを感じる事はあまりありませんでした。
しかし「砂の器」は本とは又違う映像の凄みを感じる作品になっていました。
本編中に流れる音楽も素晴らしく、初めて映画のサンドトラック盤のレコードを買ったのも「砂の器」でした。
最近は映画音楽を生のオーケストラで聴きながら映画を鑑賞する企画が盛んになりましたが、何十年ぶりでコロナ前にオーケストラ企画の「砂の器」を見に行きました。

松本清張氏の作品がきっかけで推理小説に没頭しましたが、その後読んだ本が映画化になり期待を裏切らなかったのがマイケル・クライントン氏のご存知「ジュラシック・パーク」です。
太古の琥珀に閉じ込められたDNAを使い、恐竜を蘇らせた等の発想の面白さ、奇抜さが印象的で当時読んだ後に同僚や友人に本の面白さを熱弁しているのを覚えています。
しかしこの作品を映画にしたら凄いけれど、不可能だろうと友人に話ていましたがスピルバーグ監督が作ってしまいました。CG技術もすごい進化で迫力がすごかったです。
医師でもあるマイケル・クライントン氏の作品は科学的な裏付け等緻密に表現され、その後何冊か続けて読みました。

どの作品を読んでも作家の発想の豊かさに驚きます。

どこにそんな発想のきっかけがあるのでしょうか?

「砂の器」は松本清張氏が奥さんの実家がほうきを販売していたので、ほうきを売りに出雲に行った時泊まった宿の人が話ていた言葉が東北弁の「ズーズー弁」とよく似ていると感じ、そこから発想を得たと知りました。
観察力が鋭かったのですね。
その他も売り歩く旅をしながら見た風景や人物から着想を得て作品を書いています。
旅をきっかけに物語が生まれる。必然かもしれません。
五木寛之氏もシベリア、北欧に若い頃旅した話を「青年は荒野を目指す」「さらばシベリア愚連隊」で描き現在までの地位を得ています。
旅そのものを描いている沢木耕太郎氏や歴史に残る作家も旅からの作品・エッセイが多くあり、若者に多大な影響を与えています。

伊集院静氏のエッセイに旅は読書と似ているとありました。
初めて読んだ時はその本に書かれてあることが明確に見えないが年を隔てて読み返すと、思わぬ発見があるものだ。人生の経験(失敗もいいが)を積まないと見えないものは世の中にはたくさんある。中略
私が若い人に旅を進めるのは人間形成には旅は上質な授業だと信じているからだ。
とは言えそれも当人の気持ちが大切で、遊んでばかりの旅では向こうから進化のあるものはやって来ない。と・・・ありました。

昨年からコロナ禍で旅をする機会を失い、私達の生活も狭い範囲での活動になっています。
旅が出来ない今一日も早く自由に旅が出来、多くの出会いに刺激を受ける日が戻ってくることを願っています。
それまで暫くはまだ読書しながら妄想の中で旅を続けることにします。

金子 孝一