人生は挑まなければ、応えてくれない。うつろに叩けば、うつろにしか応えない。

本の中、会話の中で自分の心の中にずっと刻まれる言葉との出会いがあります。
上記の言葉も私が社会人になった時に城山三郎氏の経済小説を常に持ち歩き読み漁っていた時に出会った言葉です。
困難に直面している際その言葉に勇気づけられ前に進む事が出来る時があります。
又振り返ると決断した行動が後から知ったその言葉に通じると感じる事も度々あります。

今考えると最初の言葉は私の初めての海外への旅の結果と通じると感じます。

リリーさん、ニルスさんとの出会いから私自身が意識せず目の前の事に全力で挑んでいたからこそ、ご夫婦は何かを感じご縁が出来たと思います。

スウェーデン留学中も休みになると「ソウルバッケン」に遊びに行きました。

帰国後社会人になってからは、中々海外旅行にも行けませんでした。
ご夫婦とは手紙のやり取りだけになってしまいましたが、確かホテルの50周年か60周年を迎えたパーティーの招待状を貰いましたが、残念ながら行けませんでした。

会社設立後2・3年して、突然に商社マンの方から電話を貰いました。
内容はデンマークにずっと赴任していて帰国が決まったのでデンマークを車で色々回っている時に「ソウルバッケン」を見つけコーヒーを飲もうと立ち寄ったらご夫婦が金子さんの話をされ、是非連絡して元気だよと伝えてほしいと話していたので連絡しました。との事でした。

その後ずっと季節のカードでやり取りしていたのですが、カードが届かなくなりました。
その事が気になっていたのか、ある日喪服を着ている私が「ソウルバッケン」へ向かっている夢を見ました。
その夢を見た後にドイツで仕事があったので私はどうしても「ソウルバッケン」に行きたいと思い飛行機をデンマーク経由にしてドイツの仕事の終了後にホテルに向かいました。
ヘルシンオアから時間がなかったので、タクシーでホテルまで向かいましたが、運転手の方に「もうホテルはないよ」と言われ不安になりましたが向かってもらいました。
到着したホテルの入口には販売中の立て札がありました。
ホテルの庭には入れたので、庭からホテルの窓をのぞきキッチンを見ると昔のままでした。
懐かしく、その当時皆と忙しく働いている姿を思い出しました。
よく映画の回顧シーンに出てくるような映像が頭に浮かびました。

ご夫婦は何処へ行ったのか?
一番近い家でも崖下の家で離れていました。
その家に寄り事情を話しご夫婦はホテルをクローズする時元気だったか?その後何処へ行ったのか?を聞きました。
詳しくは知らないようでしたが、もう二人とも高齢なので仕事が出来なくなってきたと話していたと聞きました。続ける事は難しかったようです。しかし引っ越した場所は分からないと・・・
それから私は毎朝通っていたベーカリーを思い出し、そこでなら分かるかと思い行きました。しかし昔の事情を知る人がいなくアルバイトの若い人だったので分かりませんでした。
その後色々考え郵便局だと知っているのではと郵便局に行き尋ねました。
引っ越し場所は分かったのですが、そこからは電車で3時間位の場所で遠く時間の制限がある私は行けませんでした。
とても切なく「ソウルバッケン」を去り帰国しました。

自分の大きな節目に素敵な出会いがあり、多くの事を教えて頂き世界に目を向けさせてくれた出来事も全ては初めての旅がきっかけでした。
全力で自分と向かい合った日々でした。

最初の言葉

人生は挑まなければ、応えてくれない。うつろに叩けば、うつろにしか応えない。
この言葉はこれからも大切にしたい言葉の一つです。

金子 孝一